原田先生の英語とっておきの話

【生存戦略としての英語】アフリカの子供はなぜペラペラ?日本の常識が覆る、驚異のサバイバル学習法

「アフリカの子供たちは、生まれたときから英語が話せる」——これは、あながち冗談ではありません。私たちが「英語」と聞いて思い浮かべる、分厚い参考書や退屈な文法ドリルとは全く無縁の世界で、彼らは驚くほど自然に、そして切実に英語を習得していきます。

その背景にあるのは、「授業はオールイングリッシュ」という衝撃的な教育システム。しかし、真実はそれほど単純ではありません。そこには、植民地時代の歴史から続く言語のジレンマ、都市のエリート層と地方の貧困層を分かつ残酷なまでの教育格差、そして、その格差を乗り越えようとするテクノロジーとカルチャーの爆発的なエネルギーが渦巻いています。

なぜ彼らの英語力は、これほどまでに「生きる力」と直結しているのか。日本の英語教育の常識が根底から覆される、そのリアルな実態の深層に迫ります。

✅ アフリカの英語学習、その光と影

このテーマの核心を理解するための重要ポイントを整理します。

  • 授業は「英語で行う」のが基本:ケニア、ナイジェリア、ガーナなど旧英領の多くの国では、小学校低学年から算数も理科も全て英語で学びます。これは、2000以上あると言われる多様な民族言語を繋ぐ共通語(リンガ・フランカ)の役割を英語が担っているためです。
  • ストリートの英語、エリートの英語:都市部の富裕層が通う私立学校では流暢なクイーンズ・イングリッシュが話される一方、地方の学校では教材も教員も不足し、「ブロークン」と揶揄される英語がやっと。この「教育デバイド」が、国内に深刻な英語力格差を生んでいます。
  • スマホが最強の学習ツール:アフリカ全土で急速に普及するスマートフォンが、教育格差を埋める希望の光となっています。オフラインでも使える学習アプリや、SMS(ショートメッセージ)を利用した教育サービスが、学校教育を補完しています。
  • エンタメが最高の生きた教材:世界を席巻するナイジェリア音楽「アフロビーツ」や、巨大映画産業「ノリウッド」は、英語(または現地のピジン英語)が基本。子供たちは娯楽を通して、教科書にはないリアルな表現を日々吸収しています。
  • 英語は「未来へのパスポート」:彼らにとって英語は、良い大学へ進学し、より良い仕事に就き、世界と繋がるための「生存戦略」そのもの。その切実さが、学習への強力なモチベーションとなっています。

これらの要素が複雑に絡み合い、アフリカの子供たちの英語学習という、ダイナミックで過酷な現実を形作っているのです。

なぜ、授業は全て英語なのか?―植民地時代から続く“言語のジレンマ”

アフリカの多くの国で英語が公用語となっている背景には、植民地時代の歴史が深く関わっています。しかし、今ではそれが多民族国家を一つにまとめるための、極めて現実的な選択となっています。例えば、ナイジェリアには500以上の民族グループが存在し、それぞれが独自の言語を持っています。もし全ての公文書や教育を特定の民族言語で行えば、他の民族から猛烈な反発が起こるでしょう。そこで、どの民族にも属さない「中立的な言語」として、旧宗主国の英語が採用されているのです。

その結果、ケニアやウガンダなどでは、小学校の1〜3年生頃まではスワヒリ語や現地の言葉で基礎を学び、高学年になると、国語以外の全ての授業が英語で行われる「イマージョン教育」が始まります。家庭では部族の言葉、友達とは地域の共通語、そして学校では英語、というように、子供たちはごく自然にマルチリンガルな環境で育つのです。英語は「外国語」ではなく、高等教育を受け、社会で成功するための「必須言語」として、生活の中に深く根付いています。

教室に壁も教科書もない―残酷なまでの“教育デバイド”

しかし、「授業が英語」という言葉の響きほど、現実は甘くありません。そこには、目を覆いたくなるような格差、いわゆる「教育デバイド」が横たわっています。

① エリート層の私立学校
ナイロビやラゴスといった大都市には、欧米と変わらないレベルの設備を誇る私立学校やインターナショナルスクールが存在します。そこでは、ネイティブスピーカーの教員から、少人数クラスで質の高い英語教育が提供されます。彼らは流暢な英語を操り、海外の大学へ進学していくエリート層です。

② 地方の公立学校
一方で、地方の農村部にある多くの公立学校の現実は過酷です。教員一人に対して生徒が100人を超えることも珍しくなく、教科書は数人で一冊を共有、そもそも校舎に壁や屋根すらないこともあります。英語を教える教員自身も十分な訓練を受けておらず、文法的な誤りが多い「ブロークン・イングリッシュ」で授業が進められることも少なくありません。この環境の差が、同じ国の中でも「未来へのアクセス権」に絶望的なほどの格差を生み出しているのです。

スマホが教室になった日―EdTechとエンタメが起こす“静かな革命”

この深刻な教育格差に風穴を開ける存在として期待されているのが、アフリカ全土で急速に普及するテクノロジー、特にスマートフォンです。

ケニアで生まれた「M-Shule」は、インターネット接続が不安定な地域でも使えるよう、SMS(ショートメッセージ)をベースにした学習プラットフォームを提供しています。また、タンザニア発のアニメ教材「Ubongo Kids」は、テレビ放送に加え、スマートフォンアプリでも配信され、エンターテインメントを通して算数や科学、そして英語を教えています。これらの「EdTech(教育テクノロジー)」は、物理的な教室や高価な教材がなくても、子供たちが学習を続けるための重要なライフラインとなりつつあります。

さらに、強力な援軍となっているのがポップカルチャーです。グラミー賞を受賞したBurna BoyやWizkidといったアーティストが牽引する「アフロビーツ」の歌詞は、英語がふんだんに使われています。また、インドの「ボリウッド」に次ぐ規模を誇るナイジェリアの映画産業「ノリウッド」の作品も、国内の多様な言語を持つ人々に届けるため、主に英語で制作されます。若者たちは、音楽や映画に夢中になることを通して、教科書では学べない生きた言い回しやスラングを、ごく自然に自分のものにしているのです。

<まとめ>“生存戦略”としての英語―日本人が学ぶべき本当のグローバル感覚とは

アフリカの子供たちにとって、英語は「テストで良い点を取るための教科」ではありません。それは、自らの運命を切り開き、貧困の連鎖を断ち切り、広大な世界へと羽ばたくための、文字通り「未来へのパスポート」なのです。

授業、格差、テクノロジー、文化——。これら全てが渾然一体となり、彼らの学習環境を形成しています。その切実さと、あらゆるものを教材に変えてしまうハングリーな姿勢は、「何のために英語を学ぶのか」という目的意識が希薄になりがちな私たちに、根源的な問いを突きつけます。

彼らの姿から私たちが学ぶべきなのは、単なる学習テクニックではなく、言語を「自分の人生を豊かにするための道具」として捉える、そのしたたかで力強い姿勢なのかもしれません。

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