原田先生のとっておきの話

オリンピックで中国選手の名前を 「日本語読み」するのはなぜ? ― 知って驚く、日中70年の”暗黙のルール” ―【原田先生のとっておきの話】

OLYMPICS × KANJI CULTURE

オリンピックで中国選手の名前を
「日本語読み」するのはなぜ?

― 知って驚く、日中70年の”暗黙のルール” ―

💬 こんな疑問、持ったことありませんか?

「韓国の選手は現地の発音で呼ぶのに、なんで中国の選手だけ日本語読みなの?」「それって失礼じゃないの?」――実はそこには、ほとんどの日本人が知らない日中間の正式な取り決めが存在していました。

オリンピックの中継を見ていて、こんなことに気づいた方はいませんか。

韓国の選手は「キム・ヨナ」「ソン・フンミン」と、現地の発音そのままで紹介される。なのに中国の選手になると、卓球の馬龍は「マー・ロン」ではなく「ま・りゅう」。バドミントンの陳雨菲も「チェン・ユーフェイ」ではなく「ちん・うひ」

なぜ中国だけ日本語読みなのか。もしかして日本のメディアが手を抜いているだけ? あるいは、単に慣習で何となく続いているだけ?

答えは、そのどちらでもありません。

🇯🇵🇨🇳 日中間の「相互主義」という外交ルール

実はこれ、日本と中国の間で正式に決められたルールに基づいています。その名も「相互主義」

内容はシンプルです。

🇯🇵 日本では、中国人の名前を日本語の音読みで読む

🇨🇳 中国では、日本人の名前を中国語の発音で読む

NHKの放送ハンドブックにも「中国の地名・人名は原則として、日本で通用する漢字で書き、日本語読みとする」と明記されています。つまり、日本語読みはメディアの怠慢でも慣習でもなく、外交上の正式な合意なのです。

💡 あなたの名前も中国では”中国語読み”されている

この相互主義が実際にどう機能しているか、具体例を見てみましょう。

🇯🇵 日本での読み方

習近平 → しゅう・きんぺい

毛沢東 → もう・たくとう

周恩来 → しゅう・おんらい

🇨🇳 中国での読み方

田中角栄 → ティエンジョン・ジャオロン

小泉純一郎 → シャオチュエン・チュンイーラン

大谷翔平 → ダーグー・シャンピン

もし中国でオリンピック中継を見ていたら、大谷翔平は「オオタニ・ショウヘイ」ではなく「ダーグー・シャンピン」と実況されます。お互い様なんですね。

🔍 なぜ漢字は「自国語読み」でOKなのか?

ここで根本的な疑問が湧きます。「アルファベットの国ならともかく、同じ漢字を使っている国同士なのに、なぜ読み方が違っていいの?」

この疑問の答えこそが、漢字という文字の最大の特徴に関わっています。

漢字は「表意文字」です。アルファベットのような「表音文字」とは根本的に性質が違います。アルファベットは音を記録する文字ですが、漢字は意味を記録する文字。だから同じ「山」という字を見れば、日本人が「やま」と読もうが、北京の人が「シャン」と読もうが、広東の人が「サーン」と読もうが、「あの高く盛り上がった地形のことだな」と全員が理解できます。

漢字の世界では
「文字(=意味)が共有されていれば、発音は各言語に委ねてよい」
という考え方が、何千年も前から存在している

実際、中国国内ですら北京語・上海語・広東語・福建語で漢字の発音はまるで別言語のように異なります。中国の中ですでに「同じ漢字、違う発音」が当たり前。日本語の音読みも、その延長線上にあるにすぎません。

🤔 じゃあ韓国は、なぜ「現地読み」なのか?

ここまで読んで、鋭い方はこう思ったはずです。「韓国だって昔は漢字を使っていたのに、なぜ韓国人の名前は現地読みするの?」

実は、韓国もかつては日本語読みされていました。

かつての日本語読み → 現在の現地読み

金大中 → きんだいちゅうキム・デジュン

金日成 → きんにっせいキム・イルソン

朴正煕 → ぼくせいきパク・チョンヒ

転機となったのは1984年。全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領が来日した際、「韓国人の名前は韓国語の発音で呼んでほしい」と正式に要請しました。日本はこれに応じ、以降は韓国・北朝鮮の人名を現地発音で読むようになりました。

ここにも相互主義が働いていて、韓国でも日本人の名前は日本語に近い発音で呼ばれるようになっています。一方、中国はそのような要請をしていないため、今も互いに自国語読みを続けている――それだけの違いです。

🌍 ヨーロッパでも起きている「まったく同じ現象」

「自国語読み」は日中間だけの特殊な話ではありません。ヨーロッパでもごく普通に起きています。

人名 ラテン語 英語 ドイツ語
Caesar カエサル シーザー カイザー
Robert ロバート ローベルト
Michael ミカエル マイケル ミヒャエル

同じスペルなのに、言語が変われば発音もまるで変わる。「どれが正しいか」ではなく、それぞれの言語の中で自然な読み方をするのが世界の常識です。日本語で中国人の名前を音読みすることも、まったく同じ構造なのです。

📚 音読みのルーツを辿ると、もっと面白い

もうひとつ、英語教師としてぜひお伝えしたいことがあります。

日本語の音読みは、もともと中国語の発音が日本に伝わって変化したもの。しかも、伝わった時代によって読み方が違います。

呉音(5〜6世紀):仏教とともに伝来。「行」→ギョウ

漢音(7〜8世紀):遣唐使が持ち帰った音。「行」→コウ

唐音(鎌倉〜江戸):禅宗や貿易とともに伝来。「行」→アン

つまり、日本語の音読みには何世紀にもわたる日中交流の歴史がタイムカプセルのように詰まっています。「関羽(かんう)」と現代中国語の「グァン・ユー」が似ているのは、偶然ではなくルーツが同じだからです。

英語にも似た現象があります。英語の “beef” はフランス語の “boeuf” から来ていて、もとの英語では “cow” だった。言葉は国境を越えるたびに姿を変える。その変化の痕跡をたどること自体が、言語学習の醍醐味なのです。

✨ まとめ ― 次のオリンピック、きっと見え方が変わる

整理しましょう。

中国選手の名前を日本語読みするのは、日中間の正式な「相互主義」に基づくルール

中国でも日本人の名前は中国語読みされている(お互い様)

漢字は「表意文字」なので、発音より意味の共有が重視される

韓国は1984年に「現地読み」を要請。中国はそのような要請をしていない

自国語読みは世界的にも珍しくない現象(Caesar → シーザー/カエサル/カイザー)

次にオリンピックで「ま・りゅう」と聞いたとき、その裏にある漢字文化圏の壮大な物語を思い出してもらえたら嬉しいです。言葉の背景を知ると、スポーツ観戦すらちょっとだけ知的な体験に変わる――それが、言葉を学ぶということの力だと思います。

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