Cinco de Mayo · Worksheet A1
解答・解説
1. B 2. C 3. B 4. D 5. A 6. C 7. A 8. D
True or False: 1. T 2. F 3. T 4. F 5. T 6. F
🌮 = taco 🥑 = avocado 🎺 = trumpet 🎸 = guitar 💃 = dancer 🥁 = drum 🐴 = horse 🌽 = corn
1. BATTLE 2. ARMY 3. PARADE 4. SPANISH 5. VICTORY 6. PRIDE
(1) Puebla (2) 5 (3) parade (4) march (5) dress (6) flag (7) battle (8) army (9) mole (10) proud
VIVA MEXICO(メキシコばんざい)
PUEBLA
Cinco de Mayo · Worksheet A2
和訳・全訳
1 アメリカでは、5月5日をメキシコの誕生日だと思っている人がたくさんいます。でも、それは正しくありません。メキシコの独立記念日は9月16日です。シンコ・デ・マヨはスペイン語で「5月5日」という意味で、ある有名な戦いを記念する日です。
2 1861年、メキシコには借金を返すだけのお金がありませんでした。そこでフランスは、国を支配するために強い軍隊を送りこみました。約6,000人のフランス兵が、プエブラの町に向かって進みました。彼らは1日で勝てると信じていました。しかし、町を見下ろす2つの丘で、もっと小さなメキシコ軍が待ちかまえていました。その指揮官、イグナシオ・サラゴサ将軍はまだ33歳でした。
3 戦いは5月5日の正午ごろに始まりました。フランス軍は何度も丘をかけ上がり、そのたびに押し返されました。夕方には、彼らはあきらめて引き上げました。サラゴサは大統領に短い報告を送りました。「わが軍は栄光に包まれた」。けれども、戦争は終わっていませんでした。1年後、ずっと大きなフランス軍が戻ってきて、メキシコシティを占領したのです。
4 では、なぜシンコ・デ・マヨはアメリカでこんなに大きなお祭りなのでしょう。戦いの知らせは、約3週間後にカリフォルニアに届きました。そこに住むメキシコの人々は大喜びし、毎年お祝いを開くようになりました。1960〜70年代には、メキシコ系アメリカ人の若者たちが、自分たちの文化への誇りを示す日としてこの日を使いました。その後1980年代には、ビール会社がこの日の大きな広告を出しました。
5 今では、ロサンゼルスやシカゴなどの都市で、マリアッチ楽団やあざやかなドレスのパレードが開かれます。人々はタコスやワカモレを食べます。プエブラでは、何千人もの生徒や兵士が通りを行進します。そして日本では5月5日はこどもの日でもあるので、2つの記念日を一度にお祝いできます。
Cinco de Mayo · Worksheet A3
解答(パズル)
Cinco de Mayo · Worksheet A4
解答(発展セット)
1-b(launch=開始する、売り出す) 2-c(campaign=(宣伝などの)活動、キャンペーン) 3-d(object to=〜に反対する) 4-e(stereotype=固定観念、決めつけ) 5-f(immediately=すぐに) 6-g(invasion=侵略) 7-h(struggle=闘い、苦闘) 8-a(reflect=反映する)
Some critics say Cinco de Mayo became famous in the U.S. only through beer ads in the late 1980s and that party costumes show stereotypes. But Professor Hayes-Bautista found that Latinos in California celebrated the victory in the 1860s and linked it to the fight for freedom. Both views have some truth.
1 毎年春になると、アメリカでは同じ議論がくり返されます。シンコ・デ・マヨはメキシコ文化のお祝いなのか、それとも単なる販売イベントなのか、と。批判する人たちは、この日が全国的に有名になったのは、1980年代後半にビールの輸入会社が広告キャンペーンを始めてからだと指摘します。また、大きなソンブレロや付けひげのような仮装にも反対しています。それは敬意ではなく、決めつけた見方だと考えるからです。
2 しかし、ラテン系住民の歴史と健康を研究するUCLAの教授デイビッド・ヘイズ=バウティスタは、物語はもっと前に始まっていると主張します。1860年代のスペイン語新聞を読み解いた彼は、カリフォルニアのラテン系住民が、アメリカでまだ南北戦争が続くなか、プエブラの勝利をほとんどすぐに祝っていたことを見つけました。彼らにとって、フランスの侵略との戦いと、奴隷制との戦いは、自由を求めるひとつながりの戦いでした。彼の見方では、シンコ・デ・マヨはアメリカ人が借りてきたメキシコの祝日ではなく、ラテン系の人々が作ったアメリカの伝統なのです。
3 どちらの見方にも、一理あります。商業的な思惑がこの日を広めたのは確かですが、それはラテン系コミュニティの経済力が大きくなったことの表れでもありました。本当に問うべきなのは、この日が誰のものかではなく、お祭りの裏にある歴史を少しでも学ぼうとするかどうか、なのかもしれません。